リネン教科書

世界のリネンの歴史を知りたい!-日本編-


wafuのお宿、日本家屋にリネンののれんをかけていますが、
今では日本でも麻といえばリネンをイメージすることが多いと思います。

では、いつから素材としてのリネンは日本に根づいたと思いますか?
そういえば日本でリネンの原料となる亜麻(フラックス)を栽培しているイメージってあまりないような……。日本でリネンの原料の栽培はできるの?など、今回は、リネンの日本における歴史を掘り上げてお届けします。

※亜麻(フラックス)とはリネンの原材料となる植物です。





1.薬用の植物から大麻に変わる繊維植物へ?


リネンの原料となる亜麻(フラックス)は、写真のような植物です。小さめの花がかわいいですよね。これが日本にもたらされたのは、元禄時代と言われています。でも当時は薬草園で薬用として試作されていて、繊維としては注目されていなかったようです。

転機は幕末。繊維作物として輸入され、北海道のガルトネル農園で栽培がはじまりました。

ガルトネル農場といえば、日本の西洋農業発祥の地と言われるところ。プロシア(ドイツ)商人のガルトネルが、北海道の七飯町に農場を開き、日本にはなかった農機具を使い、小麦などの穀物やりんごなどの果樹などを持ち込んでプロシア流の農業に取り組んでいました。

そこで亜麻(フラックス)もつくっていたんですね。

亜麻(フラックス)は寒冷地が栽培場所に向いており、実際に世界の栽培地を見てみると札幌市よりも高緯度地方になっています。

日本で麻といえば昔はリネンではなく大麻のことだったというのは以前お話しました。それまで繊維作物として栽培されていた大麻に亜麻(フラックス)は匹敵する作物なのか、それよりも優れているのか、徐々に関心が強まっていきます。




2.お抱え外国人の鶴の一声で亜麻(フラックス)栽培は本格化?


リネンの原料、植物のフラックスは乾燥すると写真中央のような茶色の束になります。この経緯はまた以降に説明するとしまして、話を日本のリネンの歴史に戻しますね。

1871(明治4)年、北海道開拓使のお抱え外国人だったトーマス・アンチセルが日本における亜麻(フラックス)生産の提案者といわれています。

七重開墾場(ガルトネル農場を日本政府が引き取ってこういう名前になった)視察の際に亜麻(フラックス)が見事に生育しているのを見て、日常生活に必要な作物の栽培はもちろん、貿易できる作物の栽培が急務だと亜麻(フラックス)栽培を助言しました。

それを受け、亜麻(フラックス)から繊維をとる技術の導入がはじまります。

1876年(明治9年)からは一般農家にも亜麻(フラックス)の種子を配布し、農家での試作も行われていきました。その結果、亜麻(フラックス)は北海道の気候風土に合う作物であることが立証されたんです。糸や布製品をつくることで、北海道に新しい産業を起こすことができるようになります。

そして1887(明治20)年、「北海道製麻株式会社」が設立されます。全国から募集した工員は400人。相当の力の入れようです。

道内初の雁木工場、琴似亜麻(フラックス)工場をはじめとして、道内各地に亜麻(フラックス)から繊維をとる製線工場(亜麻(フラックス)工場)が建設されていき、右肩上がりで亜麻(フラックス)産業が成長していきました。

この頃、国内需要への対応もちろん、海外にもリネンを輸出していたんです。




3.戦争需要で亜麻(フラックス)栽培は急増?



明治開拓の時代から第二次世界大戦まで、北海道の主要作物として全道各地に亜麻(フラックス)畑の姿を見ることができました。

明治時代に北海道で亜麻(フラックス)生産が始まってから、日本は大きな戦争を何度も繰り返してきましたよね。

亜麻(フラックス)の繊維をもとにつくられる布は、丈夫で長持ちします。衣類や蚊帳、漁網など幅広い用途に使われましたが、丈夫な性質から、軍用品としての需要が特に高かったんです。リネンで軍服やテントなどをつくるのに亜麻(フラックス)は重宝されました。

その結果、北海道では日清戦争の頃にはもう大麻よりも亜麻(フラックス)の作付面積のほうが大きくなっていました。亜麻(フラックス)の栽培面積は、1945(昭和20)年に 道内で4万ヘクタールにも達して、それはジャガイモの栽培面積にも匹敵する規模でした。

道内の工場は最盛期は85か所にもなったんです。

しかし、1945(昭和20)年に戦争に破れた日本は、平和な国づくりを進めることになります。戦後は食糧不足のため、国は農作物を育てることを優先するようになりました。そのため、亜麻(フラックス)栽培をする農家は減っていき、工場は原料となる亜麻(フラックス)の茎を確保することが難しくなっていきます。

さらに石油などを原料とした化学繊維が急速に広まることで亜麻(フラックス)の需要が減り、工場はどんどん閉鎖され、1963(昭和43)年には最後の工場が閉鎖されます。

亜麻(フラックス)の栽培はいったんここで途絶えることとなります。亜麻(フラックス)は日本から姿を消してしまいました……。




4.亜麻(フラックス)は再び北海道で栽培されている?



今、北海道の畑の風景で思い出すのは、じゃがいも畑だったり、ラベンダー畑だったりで、亜麻(フラックス)を想像する人はほとんどいないと思います。

かつて一面の亜麻(フラックス)畑があった北海道。世界情勢や産業の推移で、その風景はかんたんに変わっていってしまうんです。

それでも、亜麻(フラックス)生産を由来とする地名が道内にはいくつか残っています。その代表例が、札幌市の麻生(あさぶ)。この地は、この場所に亜麻(フラックス)工場が存在した歴史を地名に残そうと「麻生町」という地名になりました。工場の跡地にはたくさんの家が建ち、住む人々が増えて発展していきました。

そして近年、道内では亜麻(フラックス)を復興する取り組みがさかんに行われています。有名なのは、石狩郡当別町。ほかにも2004(平成16)年に札幌市に亜麻(フラックス)公社が設立され、複数地域の農家に栽培委託されています。

最近は健康ブームで亜麻(フラックス)仁油も話題になっていたり、亜麻(フラックス)の魅力は再認識されだしています。

かつて多くの道民に愛された亜麻(フラックス)畑。
当別町では亜麻(フラックス)の花が見ごろを迎える時期(6月下旬~7月上旬)に合わせて「北海道亜麻(フラックス)まつり」が開催されています。

リネンの原料となる亜麻(フラックス)がかれんに咲く姿、実際に一度見てみたいものです。




5.今回のまとめ

  • ・北海道のガルトネル農園で亜麻(フラックス)を栽培していた
  • ・明治初期から日本でも繊維作物として亜麻(フラックス)を本格栽培
  • ・亜麻(フラックス)栽培は軍需で急成長
  • ・戦後に亜麻(フラックス)栽培は途絶える
  • ・今は再び北海道で亜麻(フラックス)の栽培をしている


文・綿貫大介 写真・Pixabay


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