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4月入社の3人はそれぞれ、早くも頭角を現し、各持ち場で大いに暴れています。

裁断を任されているサンカさんは、時折、スリランカカレーを作ってお客様に振舞ったり、
未完の新施設CIPの看板娘である伊藤ちゃんが焼く、シフォンケーキやチーズケーキが売れ過ぎていたり、
カスタマーサポートの要でありながら、梱包から発送からすべてをこなす千手観音的大野さん。

そこにwafuと共謀したいという、稀有な方が、東京は品川からやってきました。






東京のアパレルメーカーで、パタンナーとして働いていた内田さん。
ハイレベルな現場でパターンを引き、良い上司にも恵まれた。刺激的な毎日。

でも。しかし。but。

目まぐるしい毎日の中で、立ち止まって考える、時がある。



憧れのパタンナーという職業に就いたけれど、私がやりたい事って、こういう事だっけ?
これって私が着たい服?
いやいや、仕事なんだから。
中学生の頃から始めた服作り。私はあの頃のように、服作りを楽しめてる?
いやいや、楽しくないわけじゃない。

でも。しかし。but。

胸の底の底に沈殿した違和感が、時々、浮遊した。

そんな折、ご主人の実家がある山梨に引越すことになった。

山梨でもパタンナーを続けたいと思った。
初めて転職活動というものをやってみた。
転職活動の最中、wafuが目に止まった。自分が好きな洋服を作っている会社だと思ったが、パタンナーの募集はしてなかった。

でも。しかし。but。

ダメで元々。所謂、ダメ元。
連絡だけは取ってみようじゃないか。
何もする前から諦めるのは悔しいじゃないか。
断られたら、その時また考えればいい。
代表わたぬきリネンホリックにメールを送った。
面接してもらえる事になった。

で、採用になった。

うまくいき過ぎている。
人によく言われたし、自分でもそう思う。



wafuの洋服は自分が好きなデザインであり、自分が着たい服が多い。
元来、パタンナーは自分の色を出していく職業ではないのかもしれないけれど、wafuでは違う。
楽しんでパターンを引き、リネンホリックを驚かせ、お客様が喜んでくれたら、それが正解。

まだまだ覚えることが多く、大変だと感じることが多いと話す内田さん。
今後は、自分の色も作品に落とし込みながら、wafuでの服作りを楽しみたいという野望も同時に話してくれた。

蛇足ですが、お菓子作りが大好きな内田さんですので、近い将来、「wafuのパタンナーが作るお菓子」もCIPで食べれるかも。







三人目は、小顔で高身長。スリランカからやってきた、ワリガマ・アラッチラゲ・ガヤンサンカ・ダアス・サンカ・ダアスさん。
いや、めちゃくちゃ名前長いっすね。と、いうわけで、通称、サンカさん。

サンカさんは、子供の頃から日本が好きだった。
日本で働いていた親戚が家に遊びに来ると、真っ先に日本の話を聞きたがった。

サンカ少年は、将来は日本で働きたい。と、思うようになっていた。



2015年。
24歳のサンカさんは、憧れの日本に降り立った。

住みやすいと評判の山梨県に住むことにした。
来日して半年後、三日間限定のアルバイトを紹介された。飲食店の皿洗いだった。
その職場に外国人は一人もいなかった。
「三日間だけだしな」不安はあったが、皿を洗って、洗って、洗いまくっていた三日目。
「ずっとうちで働かないか」店長から声が掛かった。

それから平日は日本語学校、夜はアルバイト、土日はフルでアルバイト。休みがない生活が始まった。
日本語学校で学んだ日本語は、すぐにお店で試してみた。
元々接客が好きだったサンカさんはすぐに頭角を現し、サンカさん目当てでお客さんが来るようになった。

学校を卒業し、県内で就職先を探したが、外国人である彼には風当たりが強かった。面接さえしてもらえない日々が続く。
やっと見つけた就職先は、群馬県だった。
働きながら、山梨県での就職先を探したが”外国人”であることが、邪魔をした。



ネットでwafuのことを知った。
会社のことを調べまくった。サイトを見て、SNSを全部見て、連絡を取ったが、募集はしていなかった。

「受からなくてもいいから、面接だけでもして欲しい」

はじめて食い下がった。知って欲しかった。自分のこと、今までの経験。

wafu代表綿貫リネンホリック陽介は、サンカさんがアルバイトをしていた飲食店に行ったことがあって、彼を覚えていた。
そして、すぐに採用を決めた。

裁断の作業から始めることになったサンカさんは、家に帰ってからも裁断の事や機械の事をを調べた。

目標は「サンカがいないと困る」という存在になること。

その目標、割りとあっさり達成できますよ。あなたならね。







二人目は、運命に導かれるように、やってきた大野さんは、wafuで働くために横浜から移住してきた。

彼女とwafuとの関係は、意外に古く、学生時分まで遡る。
当時通っていた服飾学校の先生が着ていたのが、wafuだったとか。
その時は正直、「リネン専門のブランドがあるんだ。ふーん。」と、いうくらいの印象だった。

この出会いが、彼女の人生に大きく関わってくることになろうとは、本人も、もちろん、その先生も知る由もない。



その後、彼女は縫製やパターンを学び、アパレルビジネスを学んで、アパレル関係のイベント会社に入社した。
入社一年目の夏、婦人服のイベントを任せられた。はじめての自分の企画。新宿高島屋。気合が入った。その時。

突然、wafuが頭に浮かんだ。

すぐに連絡を取った。程なくして、彼女のはじめての企画にwafuが出店し、大成功を収めた。

その後も無我夢中で企画を立てまくり、イベントを立て続けに行った。

無理がたたって体調を崩した。

このままでいいのか私、この働き方は自分に合っているのか、自問自答の日々。
そんな中で、再び、wafuが脳裏に浮かぶ。
wafu代表綿貫リネンホリック陽介に連絡を取って、自分の現状や、働くことについて、その他諸々を相談した。

wafuで働きたい。とは、言えなかった。

自信がなかった。自分はwafuで何ができるのか。山梨?移住?無理無理無理。不安だった。



その後、飲食業界の法人営業をする会社に再就職。
バリバリと働き、実績を上げた。成果を数字で確認できるのも楽しかった。
ひそかに目標としていた先輩を、実績で超えた。のは、三年目の冬。

そして、一人、静かに、一年を振り返った。
この先の自分の人生について。仕事のこと。頭の片隅にずっといるwafuのこと。

2020年12月30日
三度、綿貫リネンホリック陽介に連絡を取り、叫んだ。

wafuで働きたい。

三年前の自分とは明らかに違う。
自分がwafuで何ができるのか、アイデアが次々と浮かんだ。
移住すること、はじめての一人暮らしのこと、不思議と不安は消えていた。
何とかなるだろう。そう思えるようになっていた。

山梨に移住することは誰にも相談しなかった。
自分で決めた自分のことを、とやかく言われたくなかった。でも。

気がかりなのは心配性のお父さんお母さん。
それと、車の運転。
なので、新しく住む場所は、会社の近くにしました。







入社当日、「昨日は楽しみ過ぎて眠れませんでした!」と、話してくれた彼女には、軽度の知的障がいがある。

特別支援学校の在学中、現場実習プログラムで、はじめてwafuを訪れた時は、緊張して吐きそうだったと振り返る彼女だが、
ふたを開けたらどうでしょう。とっても手先が器用だこと。
どれくらい器用かというと、弊社の昭和の職人が唸るほど。それくらい器用。

例えば、wafuで人気の手ほぐしフリンジストール。
彼女が使ってくれる人を想像しながら、目を見張る速さで、それでいて丁寧に丁寧に糸を抜いてくれました。
もしかしたら、皆さんが持っているストールのフリンジは、彼女が作ったものかも知れません。



最初は苦手だったアイロンの作業。何回やっても上手にできない。
それでも、やるしかないから、やる。
で、やっていくうちにコツを掴むと、アイロンは楽しい作業になっていた。

きれいな裁断をするための、生地の地の目合わせ。
どういうわけか、一回教えただけで、スイスイ糸を抜いて地の目が揃っている。どういうこと。
わたし、もっと時間かかったんですけど。ねぇ、どういうこと?



程なくして、現場の色々な所から声が掛かる売れっ子に。
「伊藤ちゃん!これ地の目合わせといてー!」
「それ終わったら、こっちのアイロンお願いねー!」
「手が空いたら、こっちのはぎれよろしくー!」
その都度「はいっ!」と100点の返事で返す彼女は、忙しそうだけど、キラキラしてる。

そして、この春。wafuの仲間に加わりました。
吐きそうなほど緊張した場所は、眠れないほど楽しみな場所に。
この先、彼女がキラキラしていられるように、wafuも頑張ろうと思います。


それと、新施設『CIP』でも彼女に会うことがあるかもしれません。(彼女は接客も得意なんですよ)
その時は、どうぞ「やってるね!伊藤ちゃん!」と、お声がけいただけたら幸いです。
100点の「はいっ!」でお応えいたします。

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