2018年  事業を振り返る 10月~12月

文章長いし、退屈になります。本当に読みたい方だけにしてください。

無理に読んでもなんにも特はありません。

 

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10月

冬物の動きが活発になりウール素材が毎日売れている。

対面販売が売れるとう事実が検証され、富士吉田の機屋フェスに2日間出店することになった。

通称ハタフェスというイベントだ。

 

主催者も年齢が近く堅苦しい制限もないフェス。

シャッター商店街などを間借りして出店して、機織りの街であることを県内外の多くの方に知ってもらうのが目的。

富士山の麓であるこの場所はインバウンド客も多くクリエイティブな思考を持った人も多い。

カレー屋、パン屋、コーヒー屋、雑貨、地元の特産である生地 ワークショップ などが個々の場所で披露され多くのお客さんが訪れていた。

僕らは古い呉服屋のであっただろう、店舗を使わせていただけることになり、ホコリだらけの畳を綺麗に掃除して 作品を展示していった。

クレジットカードも使えるレジを導入したこともあり、ここでも対面販売は成功した。

新たなに幅広い客層もつかみ、その中でも感度の高いお客様が数万円まとめ買いで購入してくれた。

やはり2.3万という価格の服はネットではなく手にとってみてから決めたいという当然の行動だと思う。

 

18日から横浜京急百貨店でも催事がまっている。

対面はいける!

僕はアパレル展示会に足繁く通い、視察も平行に行いながら横浜の販売に向かった。

いいタイミングで新作も売り場に並べる事ができた。

百貨店のフロア責任者の女性で長い黒髪に深みある口紅が印象的な綺麗な女性がディスプレイとか動線とかの提案をしてくれた。

嬉しそうに声かけてくれて売り場の提案をしてくれる。

雰囲気がいいなー。横浜! と 隣で作業する笠原に声かけた。

笠原は穏やかに「はい。」と言った。

翌日から催事がスタートする、販売はいつもの畑戸さんと星子さんという女性にお願いし、一旦山梨へ戻り、溜まっている仕事をこなしていった。

 

いつも一日の終了後、畑戸さんと星子さんが売上レポートをしてくれる。

この時は違った。昼前くらいに電話があり、綿貫さん、これとこれとこれ追加できますか?!と焦ったような口調でとても興奮した様子だった。

何かあったんすか?

数分で目玉のリネンのワンピースもカシミヤのコートも、藍染などの高単価のものが最初からどんどん売れた。

そう爆発していたのだ。

売れまくっていた。

人が人を呼び、ちょうど横浜京急の10%OFFウイークとも重なってこのブースでの売上は京急始まって以来の歴代一位に記録を達成したと聞かれた。

僕たちは大量生産はできない。一人で一着づつ縫うスタイルの縫製屋だから作品追加こそ叶わなったが、その部分を補填することを考えさせらたいい機会になった。

撤収作業の日に、長い黒髪に深みある口紅の責任者の女性と催事責任者の大柄の男性が、すでに来年の催事を提案してくれた。

結果を出した僕らを少しおだてるように「すごいですね。」というので

僕は「いや、僕は根底の人間ですから。」と言って謙遜しかなかった。

11月

本格的な冬物合戦が始まったのだが今年は暖冬らしい。

アパレルは気温、天候との戦いだ。

重衣料は伸び悩み、リピーターさんを始めまだリネンワンピースが売れる。

冬だけど出来れば好きなリネンアイテムを増やしたい。

悩んでいた。

冬でも、うちのリネンは着れるのに夏のイメージが先行しちゃってるから一部の人にしか理解されていない。 届いてないじゃん。

宣伝広告に莫大な費用をかけられるほどゆとりはない。

明日は赤字に落ち込むかもしれない綱渡り経営、

借金はとうに年商を超えている。重い設備投資がのしかかる。

結果を早くださなければ。もんもんとしている日々がつづく。

本を読み漁り、ネットニュース、ネット記事、ツイッター、オンラインサロン、経営者ブログを読み漁り

自分に活かせるものを探す作業に没頭した。

知識、情報に飢えていた。

まるで何日も狩りができていないハイエナのように。

 

12月

廃業する縫製工場から従業員を受け入れてほしいとの打診もあり、合計5名の雇入れを行った。

この状況でまさかとは思うが、運命だと思って受け入れた。

常に製作スピードが遅いと感じていたこともあり、僕は新しいスタッフと共に競争原理の導入をする。

自ら後に引けないところに身をおくことによって普段以上の力が発揮され成長してきたと思っている、これはいい機会だった。

従業員数は17名となり、親子3人からスタートした小さな船は 少々重くなっていた。

数日運営して分かったことは今までの運営方法では潰れるということ。

組織改革が必要で、スタッフそれぞれの作業自体も変化する。

これは必ずチェンジしなければならない。

経営も生産マインドも。

お客様にも目に見える分かりやすい改革としてはコットンとポリエステル素材はやめる。

売上の3割を締めていた素材をやめる決断をした。

 

もっとリネン、ウールを掘り下げてフォーカスしながら誰もが認知してくれるようなお店をつくりたいと思う。

それはブランディングとも言えるけど、それが根付くまでは時間がかかるし、収益が少なくなるのでお金が続くか不安でしかない。

すげー怖い。ビビってる。

明日になれば、考えが変わる ってな事にならないようにHP上にそのことを掲載して後に引けない状態をつくった。

僕はいつだって背水の陣を引く。

その状態で最善の案がでなければ負けだし、僕みたいな凡人は、むしろこうでもしないと 腹くくって乗り越える事ができない、よわい人間です。

弱さゆえにもっと強くなりたい。

僕たちの作品を買ってくだっさっている方の為、

作品に携わるスタッフの為、

持続可能な社会の為に

2019年は リネン、ウールのアパレル専門店として新しくスタートします。

 

代表 綿貫陽介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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