家業を継ぐということは。3話
それからの僕は ただ ただ がむしゃらにミシンを踏み続けました。
利益を出すには数多く縫うしかない。
朝8時から夜は11時くらいまで休憩は昼夜2時間。
それでも時間給にして500円代から1100円くらいのもんです。
製造業なので設備投資の借金も当然ある。もう必死でした。
手作業なので1日で出来る数って限られています。
無駄を省き、削ぎ落として最大限の枚数を仕上げる。その繰り返しです。
こんな生活を数年して 常に思うことは人を雇用できる体制を整えなければ、結局終わりだな と強く考えるようになります。
しかしながらメーカーからの工賃がやっちゃ安い。
熟練の腕がなければとても食っていけない。
新しく人を雇用しても育つまでその人の給料を払うのが大変。
なんでこんなにも縫製工場って安いんだ。
怒りだとおもいます。 その時の感情は。
それを発散するように自らデザインをして販売をする決意をします。
パソコンも使えないからまず覚える所からスタート。
今思えばよく覚えたなと思いますが、服を作っても対価が安いってこと自体に怒りを感じていたのでそのパワーってすごい。
怒りのパワーは限界がないし肝が据わる自分に出会える機会でもあった。
20代前半という若さもあったかもしれないがもう、取引先も絞ってOEMを1社と自社ブランドだけでいくと決めた。
夜でも朝でも少しでも時間をつくって
必死にwebサイトを作りました。
当然、初月は月商7万9千円と大赤字だったことは言うまでもない。
4話につづく
文/写真・綿貫陽介