『お金はなぜあるのか』

今日はあたりまえとを大げさに書いてみようと思います


先日、いきつけのカレー屋に行ったんです。

だーれもお客さんがいなくてヒマそうだったの

店主が メニューを渡してくれて

いつもの雑談を交えながらオーダーをとっていくの

会話はたわいもないことで

孫が私立の学校に通っていることや

今日のランチ営業の結果とかね。

んで

注文したカレーがテーブルにおかれ

ゆっくり食べ始めたんですが

まだ一人もお客さんがこないの

時刻は19時 書き入れ時です


そろそろ完食しちゃうのに

まだお客さんがこない

しかたねえ

もう一度メニュー表をみて

シェフおまかせカレーってのがあったので

注文してみたの。

厨房にいる小太りのシェフが

お皿の棚ごしに ぼくをみてさ

お互いに”コクン”て笑顔でうなずいたの




テーブルに置かれたのは

さっきのカレーとほぼ一緒

もうベースの味だいたい一緒じゃん


でもね


具がきれいに彩られていてかわいかったの

思わずビューティフォー!と

顔を左右に小さく振りながら

笑顔で言わされました。

もうやられちゃったわけ。


そして そう

お腹はパンパン

身動きがとれないほどいっちゃったの

2杯目のカレーは頭では必要ないよー。

とわかっていても

お金を払うことで

幸福を感じることができる。

ぼくはこれにお金を払っているだよね


お金の中身ってのは

顔も知らない誰かの働きだったりします

カレーのスパイスを作る人や

それを輸送するトラック運転手

あの小太りネパール人シェフもそう


「人の働きと交換できるの」


もしスパイスを作る人がいなかったら…

カレー屋がなかったら…

お金で働きを交換できないじゃん

だから

働く人がいなくなったら…

お金の価値はないの

それはいいかえると

お金を払う価値がない。とも言えるの

そういうお店は潰れちゃうよね




「人の働きと交換できる」

それがお金




ぼくはね

できれば自分が幸せを感じる働きに

交換したいなぁと思うわけです

ああ、あのとぼけたカレー屋がそうかもね。


じゃあ、まとめるね


お金がなぜあるのか

それは働きと交換するため

交換したいものは当然だけど

価値があるものなの。


自分がたとえ素晴らしいと思っていても

あなたの働きに価値を感じなかったら

納得いく交換はできないの

だからぼくらは「働き」をSNSで伝えてるの。



ぼくは家業を継いだ20代のころね

自分の「働き」が価値にならなくて

ずいぶんお金に苦労しました

くやしかったから誰よりも働いて

腕をみがきましたけどね

それでも時給にすると300円以下だったもん


だからこそ今


wafu.のリネン服を作る人たちの「働き」

パターンを作る人の「働き」

webやお客様に接する人たちの「働き」を

価値にして

かつての自分と同じような思いはさせたくねぇ。って

感じで働いてます。


以上
当たり前のことをおおげさに書いておきました。

むずかしかったかな

なんとなく分かった人だけイイね押していってください
それで点呼とりまーす。


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