What’s a Journalist?

 

 

私が入社して間もなく、社長は私に言いました。

「ジャーナリストになってほしい」

正直私は戸惑いました。なぜならそれは、私がものすごくやってみたかったことのひとつで、

同時に自分にはできないだろうと諦めていたことの一つだったからです。

 

 

 

学生の頃から文章で自分のことをまとめるのが日課だった私。

当時は日記もつけていました。最初の影響はアンネ・フランクの日記でした。

なので、言語に興味を持ちました。ことばってなんだろう。

外国語や、異文化に興味を持ち、大学ではそういったことに関して勉強をしました。

いろんなことを伝えられる人になってみたい、そんな夢を描いた時期もありました。

でもその夢を実行するのに、10年前の自分は世間知らずの内弁慶だったので、夢までのルートがわからず、諦めてしまいました。

 

 

 

 

社長にそう言われたとき、私は疑いました。

「一度諦めた私に出来るのか?そんな仕事が出来るのだろうか?」

そんな中でも、所属した会社内での役割がそうなら少しずつやってみようか、という気持ちになりました。

そして動きはじめ、自分が、自分のイメージしていたジャーナリストとかけ離れすぎていることに愕然としました。

 

 

ですが昨日、とある方がwafuにいらっしゃって、

その方の写真を取ったとき、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の頭のスイッチが、切り替わったのが分かりました。

それは、前回の「山梨を見てみよう」の撮影をしたときにも起こったことを思い出しました。

 

 

 

昨日wafuにいらっしゃったのは、ミシン修理の職人の方。

一度壊れたミシンを修理する様子を、社長が取材させてくださいました。

その写真を取っているとき、私の視界が変化したように感じました。

 

 

 

 

 

 

自分の写真の精度がまだまだ低いことはよくわかっているのですが、

それでも、

自分のその方や出来事と対峙するときの気持ち、

観察の仕方、

どうやったら伝わるか、を勝手に自分の中に組み立てている自分がいることに気がついて驚きました。

 

 

これが、私のジャーナリズムなのかもしれない。

 

 

 

まだまだひよっこです。その感覚も幼いものでしょう。

でも自分の中の種であることは間違いないと、昨日思いました。

 

 

いやあるいは、その道40年の職人さんの手さばきに感動して、

またその時間写真だけに集中できたということもあって、

そんな気持ちになったのかもしれません。

 

 

そんなすごい技を持っていらっしゃるミシン職人さん。

その技術も、高齢化とともに衰退しています。

服を作るにはミシンが必要、ミシンのメンテナンスをする方がいなくなったら?

こんなすばらしい手さばきが、失われてしまったら?

 

 

そんな中でwafuにできることはなんだろう、と、

スタッフ一同日々模索し続けています。

もし、私に芽生えたこのジャーナリズムで、何かできるなら、

私はそれを精一杯やっていきたい、と身が引き締まる思いでした。

 

 

服装業界を取り巻く環境や、職人さんたちの技術と想いのきらめきを

記事にできる人になっていけるように、まずは頑張ってみよう。

 

 

 

文と写真・笠原里紗

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